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「伝統を未来に伝える」宮島御砂焼 三代 山根 興哉さん

山根対厳堂は初代山根興哉が厳島神社の対岸、宮島口にて大正の初め頃に創業され、現在は三代 興哉に受け継がれています。

三代山根興哉は、1963年広島県宮島口に生まれ、祖父の初代興哉、二代興哉の背中を見て育ち、子供の頃より土に触れ、土とともに人生を歩んできました。大阪芸術大学工芸学科 陶芸専攻卒業後も修行を重ね、数々の賞を受賞し、現在に至っています。

2014年2月の襲名にあたり、「伝統を守るという使命と責任を感じながら、自分の感覚的なものをプラスし思いの詰まった作品や、原材料にこだわり地元のものを使ったここにしかない作品を作りたい。また手のぬくもりを感じてもらえるような仕事をしていき、そうすることでこの宮島御砂焼を未来へつないでいきたい。」と熱く抱負を語ってくれました。
(Photo:AZLinks)

宮島御砂焼の歴史

厳島神社参拝の縁起物として焼かれた 宮島焼は、別名をお砂焼(おすなやき)、神砂焼(しんしゃやき)とも呼ばれる陶器で厳島神社の砂を粘土に練り込んで焼いているのが特徴です。

宮島焼の始まりは、江戸時代にさかのぼります。安芸国(現在の広島県西部)の人々は、旅に出る際に道中安全の参拝祈願をし、厳島神社本殿下の砂をお守り(お砂守り)として頂き旅に出ました。そして無事旅から戻ると旅先から持ち帰った砂を足して倍にしてお返しする「お砂戻し」という習俗がありました。その神聖なお砂を混ぜた陶土で大祭用の祭器を作ったのが「宮島焼」の由来としています。

縁起物として愛され続けてきた宮島焼は、「砂を混ぜる」ことから「お砂焼」とも呼ばれるようになりました。この伝承も改変により途絶えた時期もありましたが、当窯初代興哉が京都で修行を終え大正の初め頃大野町へ帰郷築窯後、まもなく厳島神社の祭器製作を命じられて現在に至ります。

現在の山根対厳堂の「御砂焼」は、現在でも厳島神社本殿下の御砂をご祈祷して頂き、粘土に練り込みひとつひとつ大切に制作しています。
(山根対厳堂ホームページより引用、Photo:橋本貞治)

消えずの火灰釉(はいゆう) – キャンドルホルダー -

宮島弥山山頂にある大聖院の「消えずの火」は、大同元年(806年)、弘法大師 空海の焚いた護摩の火が1200年以上経った今も昼夜燃え続けており、昔からこの炎で沸かした霊水は万病に効くと云われ大切にされています。

山根さんの中でいつか「不消霊火堂(きえずのれいかどう)の灰」を使った作品を作りたいと心の中で温めてきたそうです。しかし、「まだ自分は修行中の身、この思いを理解していただくまでには何度も何年も、何十年も通ってその思いを伝えたい。すぐお許しを頂くことは難しいだろう。」と考えましたが、せめてこの思いを少しだけでも伝えることができればと大聖院へご挨拶に伺ったそうです。しかし、お話をさせて頂いたその日にお許しを頂き、大聖院 座主のその懐の深さにまた身の引き締まる思いがしたそうです。霊火堂の灰を使うには今の自分では力不足だと感じ、お許しをいただいたにもかかわらず、しばらく修行に力を注ぎ込んだそうです。

時間と思いを重ね、焼き物の釉薬として調合されたキャンドルホルダーが完成。見守られ続けてきた永遠の燈火をご自宅で身近に感じていただきながら、癒しとなるよう心を込めて制作されています。伝統を未来へつなぐカタチとして、結婚式の引き出物や縁起物として大変注目を集めています。
(Photo:橋本貞治)

ギャラリー耀

2013年11月窯元 山根対厳堂の斜め向かいにオープンした山根対厳堂のギャラリー 耀 (よう)。広島県の県木「紅葉」の葉を一枚一枚貼付け、安芸の宮島の趣をデザインした「もみじ紋」をはじめ、茶道具、花器、食器など数多くの商品を展示、販売されています。

初代 山根興哉、二代、三代の作品もゆっくりご覧いただけます。

人気の体験は、ギャラリーでは「手びねり体験」「絵付け体験」、窯元では「電動ろくろ体験」を行っています。カップル・ご家族・ご友人と幅広い世代の方が体験を楽しまれています。

山根対厳堂

広島県廿日市市宮島口1丁目3-39
TEL:0829-56-0027
http://taigendo.jp
取扱店:山根対厳堂 ギャラリー耀(よう)
天満屋アルパーク店 3F ギフトサロン
安芸グランドホテル 3F ショッピングプラザ
The Bluebird Café ・広島ブランドショップ tau

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